老人と海
果たして、この本を読んだことのある人は、何%いるのだろうか。外国にいると、日本にいた時見向きもしなかった本を読むことがある。「老人と海」もその一つとなった。日曜日の朝、何か淡々と静かな読み物を読みたいと思い、窓辺で優雅に読み出したものの、止まれない。
キューバの漁師が、いよいよ食うに困り、大物を当てようと一人遠海に出て行くというのが粗筋。
途中で、貧窮した老体に対し、これでもかと過酷に迫る自然の厳しさと大きさが見るに耐えず、先の展開が恐ろしくて読めなくなった。もう解放してあげてくれ、と何度も思った。
無駄な心理説明が少なく、少ないだけに、出来事が、自分に起きたことのように生に心に迫る文章である。
明快な展開を単調とさせていないのは、幾つもの対局的な概念が絡み合っているからだと考える。老人と少年、老体と大きな自然、老体と精気、孤独と愛。
明かりのないキューバの家で、古い新聞が夜風にはためく様子がやけに心に残った。
なんとなくそのままにしておく
家の窓は、外に向いてる面が全面ガラス張りである。耐震性が疑われる。
見事な一枚ガラスの一つに、大きな手形が、クリアな視界を遮るようにくっきり付いている。
明らかに女の手ではない大きな手形。仲介人であるDamian君が残したものか、彼がブラインドをひいた時に残したものか。
ずっと前から、それがあることに気付いているが、まったく拭く気にならない。
Damianが残したものなら(いかにも物事に頓着しないDamianならやりそうだ)、ここを出る迄付けておくか、という気持ちになる。
彼が残したものならば(いかにも不器用な奴ならやりそうだ)、ここを出る迄残しておくか、という気持ちになる。
いずれにせよ、遠い異国で仮住まいをしている、染まりきらない自分の象徴。
歯と目は不可逆ですか。
出張帰りに、同僚から、歯と目は不可逆だと教わった。視力快復させるこを今年の目標としているだけに、落ち込みは激しかった。後二ヶ月だけど。
明日は生まれて初めての海外dentist。この際、一切合切治してもらう。
羊飼い
今一番気になることは、羊飼いの生活について。
『破戒』の丑松のお父さんは、山間の羊飼いとなることで、世俗から離れた。
『木を植えた男』に出てくるブフィエ氏も、山間の地で、羊飼いの傍ら木を植え続けた。
羊飼いは、賢者とか、案内人とかいうイメージがあるけど、単調だろう仕事を淡々と続けていくから、賢くなるのか、賢いからそんな仕事を続けていけるのか。
是非もっと詳しく知りたいね。
漂流
何に流されているのか分からないのだが、漂流して久しい時が流れてしまい、あさって私は三十二歳になる。
夜中の2時まで夢中で本を読んでいたら、ここが何処だか分からなくなり、外のバイクの音も郵便配達の音かと錯覚してしまった。
ここはバンクーバーで明日も朝っぱらから東京に突き上げられて仕事をすることになるのは目に見えている。
自分の意志で自分の在り方を考えなくなったのはいつからだろうかとふと考えてみる。考えなくなったのではなく、もとから考えたことがなかったのかもしれない。
だったら、今から始めればいいじゃないかと鼓舞するものの、時間に追われて何も出来ていない。もう少し普通な生活がしてみたい。自分の時間があまりにも少ない。
バンクーバーに来ることになるとは思ってもなかった。
兎に角明日は、東京からのメールが殆どありませんように。神様お願いします。