個性の豊かさは感受性の豊かさに通ずる

その時々によって心を打たれる言葉は違う。例えばそれが言い古されたものであろうと、実感できる言葉は滅多に無い。

「ライバルは昨日の自分」とはベッキーが最近出した本で言っていた。昔からよく聞く言葉だが、えらく心に響いた。

世間一般の評価に振り回されがちな為、一年程あたふたしていたのだが、この言葉を見て(そういえば、自分の尺度というものを見失っていた、と)反省している。

重要なのは、好き嫌いをはっきりと感じる感受性なのだろう。ここ十年程は、(ありていのものは結局大差無いのだから個性などどうでもいいのだ)と、個性を育てることを放棄していた。

その結果として、低い覚醒レベルが常態化し、日常が詰まらなくなった。ということに最近気付いた。

私のベクトルは「快楽=面白い(笑える)ことをやる」というところにある為、世間一般的に良しとされる「向上=克服すること」は単に辛いだけで意味の無いものにカテゴライズしていた。

ベッキーの言葉により、「向上=嫌いな状況からの脱却」と読み替えることに成功した。自分にとって一所に留まり、変化の無いことは嫌いな状況らしい。

取り敢えず、自分の今置かれてる状況を楽しくする為に少し動いてみよう。忘れちまった自分の個性を取り戻すことができるかは、今が最後のチャンスかもしれない。感受性を研ぎ澄ますことから始めよう。

今日は生まれて初めてカレイの煮付けを作り、えらく上手く出来たので大層満足している。昨日に比べ、確かに出来ることが一つ増えたわい。