目指すべきは全き幸せ

私の場合、全き幸せとは、ソファでくつろぐ夫の体にカエルのようにへばりつき、頭を夫の首のあたりにうずめている状態が一番それに近いのではないだろうか。

夫の体温の暖かさのなかにいると、今ここにいることが正しいのだと感じられる。疑いもなく正しいのである。

自分の存在の正しさを感じることなど、母の手を離れて以来なかったのではなかろうか。

私は今、全き幸せのなかにいる。

久しぶりの自宅

一週間以上家を留守にしていた。マンションに着き、郵便箱から郵便物を取り、エレベーターで上がる。昼間のマンションは人気が無く、ガランとしていて、自分の足音がやけに響く。

家のドアを開けると、外とは明らかに違う匂いがする。こんな、匂いだっけ?という違和感に戸惑う。

誰もいない部屋に、ただいまー、と言ってみる。

部屋の中は、見慣れた光景ではありながら、少しずつ、色々なものが変わっていて、あぁ、暫く留守にしていたんだな、と改めて思う。

座卓の配置がずれていたり、ドッサリ買ったお菓子の大半が無くなっていたり、大量のコップが流しに置かれていたり、冷蔵庫の茄子が腐っていたり。

私がいない間の、夫の生活の息吹が感じられ、その気配に何だか胸が切なくなる。私のいない家で一人で起居していたんだなぁ、と。

なんて、思っていたら、何だか涙が出てきた。今日夫が帰ってきたら、また何だか嬉しくて涙が出るに違いない。

夫婦生活とは、きっとそういうものなのだろうな、と思う。

能天気な夫は別に何とも思ってないだろうけど。

日本は異常

休日の夜だというのに、日本から遠慮なく連絡が入ってきて、かなりストレス溜まるわ。それでなくとも日本に比べてカナダは祝日が10日位少ないというのに。こういうことから安眠妨害されてストレスが溜まって病気になったんだと言いたい。日本のサラリーマン働き過ぎ。基準がおかしくなってる。

短期的な展望

tamapo2013-02-11

多かれ少なかれ、あと一年程度で日本へ戻ることになると思われる。いやー。今後どのように生きて行こうか、展望が全く立たない。流されるままか、意思を持って挑むか、住む場所も変わるしねー。かなりの分岐点やね。

なんてことを話し合ってたら、3時になってもた。寝れへん。

模様替えした。

フェルマーの最終定理

数学は苦手だけど、数学により、森羅万象を説明付けようとする試みには心を惹かれる。

数論は数学の中でも特に苦手な分野だが、このサイモン・シンの読ませ方は素晴らしい。数に纏わる歴史、数学者の人生、そして、数論そのものの魅力でグイグイ文系の頭を引っ張ってくれる。

幾何学は、ジオメトリー、Geography&metry即ち土地の測量。そもそもがナイルの氾濫後の土地の計測から始まったものであったり、川の長さは水源から河口までの直線距離の三倍より少し大きい数、即ちπ(パイ、懐かしいねぇ)であること、楽器の弦や楽器の重さ長さの美しい比率が和音をもたらすことなど、自然現象が数によって紐解かれてゆく様を紹介している。

でも、気付いたのは自然現象を数で説明することは出来るが、何故そうなるのかは、更に興味深いことである。何故、美しい弦の長さの比率が人間にとって心地よい響きとなるのか、何故、川は正円に近いカーブで曲がるのか。

どんどん好奇心が湧いてくる。

一年の計

これから、毎日所感なるものを書き綴ってみようかと思う。

今日の所感は、最近色々な動きがあるなぁと思うこと。

自分は何も変わりが無いのだけれど、自分の周りの環境が否応無しに変わって行くこと、それにより自分の周囲にも変化が起こり、何と無く、自分も「変化」というものに触れている。春先ということもあり、季節の移り変わりの時流に乗って、私の心にも新たな息吹が生まれてくるようである。

二月は光の春と聞くとおり、バンクーバーにも光が漸く差し込み始めている。