あまり知らなかった奥多摩について学んだこと

地図を眺めながら、ふと、東京が東西に長いのは、多摩川の流域を一つのエリアとして括っているからなんだと気付いた。多摩川の源泉がある地域が東京都西端の奥多摩町である。奥多摩町の西端には東京都で最も高い、2000メートル級の凄い山がある。雲取山である。私はこの山に登ったことが無い。自分が住んでいる東京都の中で一番高い山がどこだかも知らず、登ったこともないことに正直驚いた。今年の夏、この山に登ることにした。東京都がどんなふうに見下ろせるのだろうか。

奥多摩は昔、氷川と言われた。言われる程に厳しい冬の寒さだったのだろう。この急峻な山間には、鎌倉時代に発祥したと言われる集落が点在した。今でも幾つかは残っている。歴史に関しては、大人物を描いた読物は多いが、自分みたいなパンピーについて書かれているものは少ない。だからよく分からない。ってか読んだことない。

なんでこんな奥地の山間なんかに居を構えたのだろうか。昔の人に訳を聞いてみたい。食べ物に困る程に人口がエクスパンディングしたに違いないが、なんでそこまで奥に入るかな。とにかく、確かに日本にも、フロンティアがあり、開拓者がいたのである。昔の人は最適な場所を求めてこれでもかってくらい、山をほじくり返したらしい。プライオリティーは一に日当たり、ニに土地の平坦さ(と言っても山なので畑は坂に作ります)、水は二の次だったようです。水汲みは女か子供のお仕事。あれ、どっかの途上国と一緒じゃん。

今、東京で最も西まで行ける電車は青梅線であるが、その終着駅は奥多摩であり、そこから東へ白丸、鳩ノ巣、古里となる。私が講座を受けているのは、奥から三番目の鳩ノ巣で、家から2時間かかる。ゲロゲロー。

鳩ノ巣駅の南側の山に入っていくと、三つの集落がある。手前から大名沢、天目指、越沢である。二番目の集落はアマメザスと読むが、天を目指すという漢字と語感に些かの興奮を覚える。一番奥の越沢までは山道を歩いて約1時間ほどかかる。越沢は、今は廃村である。

「集落」という字は、集まって落ち着くと書く。かつて越沢には24軒の家があった。村の端の一番高い所には、人が住む場所と、そこから上の神聖な場所との境界を示すように道祖神が置かれている。その高みから、かつてあった集落の活気を思い出してでもいるかのようにひっそりとしたたたずまい。古くからある木は、人工林の中にあって、太さと存在感からそれとわかる。

太い木だけをイメージして周りを見渡せば、大きな柿の木の周りで柿を捕ろうとする子供達、それを叱る母親、木陰で涼むお年寄りや、お社の前でお酒を飲む男達の姿などがありありと目に浮かぶ。そういう生活がななひゃくねんも続いた。人が生き続けていくには、過酷な生活の中で、口減らしや姥捨てのような残酷な決断をせざるを得なかったという暗い側面もある。でも、人々は前を向いて生きてきた。

集落では、全ての物事が判断され、生活の全てが集落の中で完結した。東京都に住む私達は今、グローバルネットワーク(つまり、地球規模の搾取的な分業体系)の中で生きており、集落の人々もその恩恵を受ける為に、一軒、ニ軒と廃村となるまでどんどん町に下りて来た。現状は、東京都の地力のキャパを越えて人間が増加している状態。明らかに多すぎる。何だか空恐ろしい。

私が日本の大統領だったらまず、東京一極集中の解消と自治体への100年スパンでの地力向上戦略策定を宿題として出すだろう。昔の数十軒単位での自給自足生活に戻るべきとは思わないが、今のグローバリゼーションは過度だと思っている。食べ物は人間が自分の力で一日の内に動ける範囲のものを流通させるべきではないか。せいぜいチャリンコくらいか。チャリンコ圏内の自給自足を目指すのはありかと思う。