老人と海

果たして、この本を読んだことのある人は、何%いるのだろうか。外国にいると、日本にいた時見向きもしなかった本を読むことがある。「老人と海」もその一つとなった。日曜日の朝、何か淡々と静かな読み物を読みたいと思い、窓辺で優雅に読み出したものの、止まれない。
キューバの漁師が、いよいよ食うに困り、大物を当てようと一人遠海に出て行くというのが粗筋。

途中で、貧窮した老体に対し、これでもかと過酷に迫る自然の厳しさと大きさが見るに耐えず、先の展開が恐ろしくて読めなくなった。もう解放してあげてくれ、と何度も思った。

無駄な心理説明が少なく、少ないだけに、出来事が、自分に起きたことのように生に心に迫る文章である。

明快な展開を単調とさせていないのは、幾つもの対局的な概念が絡み合っているからだと考える。老人と少年、老体と大きな自然、老体と精気、孤独と愛。

明かりのないキューバの家で、古い新聞が夜風にはためく様子がやけに心に残った。