凝り

肩甲骨から後頭部にかけての凝りがとれず、上半身が胸像の様になってから三年くらい経つ。最初は「若いのにすごい凝ってますね」と笑われていたのだが、今では「反発しないほど浸み込んじゃってますね」と同情をされる始末。触られる感覚も鈍くなった。

感性も然り。自分の感情や考えを発しない環境に長くいたせいで、感じる心自体が機能不全に陥っている。久々に茨木のりこの詩を読んでみたい。ね、じゃば。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

「自分の感受性くらい」(昭和52)所収

RIZE

異動してからの残業三昧に体が疲弊し、活動という活動を嫌気する自分がおり、天気が芳しくないことにも付け込み、こないだの三連休は読者三昧、DVD鑑賞三昧となった。

たかのてるこ著の「キューバでアミーゴ」を読むにあたり、一気にダンスボルテージが上がった為、ブエナビスタソシアルクラブを借りに、ゲオへまっしぐら。キューバでは、親しい人とはハグとキスを交わし、気分が高揚すれば誰彼ともなく踊り出し、アガペーを放出することに遺憾ない。社会主義国であり、最低限の生活保証の前提として、みな給料が一律だというからに、頑張って自分の給料を上げるという面倒に煩わされることなく「その日その時をいかに楽しむか」という点を最重要視することが可能な環境である。故に打算なく恋愛し、結婚し、離婚する。今やるべきことを完遂するという日本人的な考え方とは真逆の思想にて、価値観の違いに視野が広がる思いをいたすばかり。

また、一方で「Rize」というDVDを見た。アフリカンアメリカンが体の全てで自分の全てを表現するダンスの話。クランプとストリッパーダンス。Ms.Prissyがとにかく凄い。DVDには「本編中の映像は一切早送りをしておりません」と注意書きが記されている程動きがキレキレ。伝え切れない言葉、報われない思い、理不尽さへの悲憤を、踊りという形でほとばしらせる。時には喧嘩に見えるほどの暴力性をもって。時には失神するほどの激しさをもって。

踊りというものと戦いというものの性質がこんなにも似通っているのか、と気付かされた。

きんもくせい

日曜は久々に河原をジョギングした。毎年、金木犀が強く香る頃になると(ああ、もうそんな季節か)とはっとさせられる。香りというのは何と記憶と直結するものだろうか。金木犀の匂いは部活後の帰り道を思い出させる。疲れた体に初秋の風は心地よく、運ばれる甘い匂いに癒されて帰る道中は、このまま帰るのは惜しいような、早くお家に帰っておいしい晩御飯を食べたいような、満ち足りた気持ちにさせられる。だから、私にとって金木犀はとても好きなにおいである。

赤坂でーと

土曜日は赤坂で彼と彼の取引先の人としゃぶしゃぶを食べた。台湾在住の商社マンで、彼の会社の商品を台湾で売る販社の社長とのこと。木曽路でしゃぶしゃぶを食べた。彼の大事な取引先の人であるにも関わらず私は何だか興が乗らず気もそぞろであった。最大限いつも通りの自分を保つように振る舞ったけれども。

疲れ切ってホテルに帰る道すがら、赤坂サカスを通ると人だかりが出来ている。何かと思えば「オールスター感謝祭」で私と彼の尊敬する山崎邦正が綱渡りをしているではないか、私達も興奮して「やーまーちゃーん」と叫んで手を振った。そのまま興に乗って最後まで全部見てしまった。「たっち」は見ていて面白いからとてもライブ向きな芸人だと改めて感動。

ホテルで食べるお菓子類を購入して、オールスター感謝祭の続きをずっと見た。安い割に素敵なホテルで夕食がよそ行き顔だっただけに非常にリラックスして楽しい夜を過ごすことが出来た。

オールスター感謝祭万歳である。

日帰り白昼でーと

今日は二年ぶり位にでえとをした。品川で待ち合わせてお昼を食べてスタバでコウヒイを飲んでお別れした。

二人ともゲリピイだったものだから、いなにわうどんとサラダを注文した。何故彼はお腹が痛いのにわざわざ繊維質の多いサラダなんかを頼むのだろうと不思議に思ったが、好きにさせようと思い、二人でシェアして食べた。さりげなくサラダを大目に食べてやった。この気遣いはきっと永遠に気付いてはもらえないだろうと思いながら。

たった三時間しか会えなかったのだが、普通のデートはこれくらいかもしれないと思うと不思議な感じがした。帰り際にはちょっと価値観について議論した。意見の対立みたいな感じになって、ちょっとぶつかった。ちゃんとわかり合えないでバイバイするのは心がざわめいて嫌だったので、分かり合えるまでちゃんと話した。

真っ正面から向かわないと気が済まないこの好戦的な性分はつくづく面倒だなあと思う。

ざわめきたった心を落ち着かせる為「銀が鉄道の夜」を読んだ。純粋な孤独感と夜空の冴え渡る澄みやかさに癒されて床に就いた。

日帰り白昼でーとは何だかいつもと違ってちょっと変な感じ。

毎日十年

tamapo2010-09-15

毎日何かを十年をやり続けることで、何かに長けるというので、早速ブログを毎日一言書こうと思ったその日から早速書けていない。

その日はイベントが多かった為、書きたいことが盛り沢山過ぎて筆を執るに十分な気力がなかった為。

午前中は時間があったので一ヶ月近く気に懸かっている切れ痔を診てもらいに肛門科に行こうと思っていたのだが、明確な意思が足らず、近々渡航する友人との予定を入れてしまった。

今週末からの出張では本場米国の肉厚ステイキが堪能できるというのに、この慢性切れ痔の御蔭で若干憂鬱である。切れませんように。

この友人とは三〜四年前からの付き合いだが、何となく気のもちようと心のステージが似通っているので、古くからの友人のような付き合いである。「目を開くことができないまま居続け、もはや目を開けようという気すら無くなった」とは名言であった。

今回の選択が、目を開けようとせずとも自然に目が開かれるきっかけとなればよいと思う。

帰りに蟹入り竹輪を二本頂いた。「中にビニールが入ってるからかぶりつかないようにね」と、二回も言われた。かなりの警戒を求められた為、無事に完食することができた。

店員についての考察

最近は朝、通勤途中でタピオカinレモンティー若しくはコーヒーゼリーinミルクティーを買うことが多いのだが、そこの店員に対しては何故か反抗心を抱くことが多い。

私はポイントカードが大嫌いなのだが、必ずポイントカードを渡してくる。ごみ箱行きであることは分かり切っているので、渡される際、非常に嫌そうな顔をしてみせるのだが、一向にお構いなしである。彼女から手渡されるポイントカードは、毎回やり場のない怒りと共に財布にしまわれる。

また、「ストローをさしてもいいかどうか」を必ず聞いてくるのである。毎回「ささないでください」というのにも飽きた。そんな労力をタピオカinレモンティーごときに割きたくない。

最後に、必ず大きな声で「ありがとうございました」と言って送り出すのである。私はこの店でタピオカinレモンティーを買ったことを衆目のさらすところにする気はさらさら無いのだ。

ことごとく私の反感をかう行動をする店員に毎回怒り心頭だが、そこまで嫌悪感を抱く自分には甚だ疑問を感じる。