三連休

tamapo2011-07-02

年に何回か訪れる三連休の過ごし方には何かと悩まされる。いつも当日まで無計画だからだ。

バンクーバーに赴任し、二ヶ月経ち漸く生活も落ち着いた。初めは早速購入した車で、家具の買い出しやら、色々な観光地などへ一人遠出したりしたが、初期の興奮からも覚めやり、日本の休日と変わらず気ままな休日を過ごしている。

朝から晩まで本を読んで過ごしている。近くにBOOKOFFがある為、読むべき本には困らない。またオフィスには歴代前任者達の寄贈書が、書斎の壁に背よりも高く並べられており、殆どそれを独占している。遠藤周作宮尾登美子、漫画、経済図書など様々である。

今日は三連休の真ん中だったが、平日の習慣から6時に起きた。北に位置する為、夏は6時前から完全に日が登る。家の窓から朝もやが晴れた港を眺める。人影も疎らで、何だかもったいない気がして、『破戒』を片手に家を出た。今日はきちんとした日本語が読みたくなった。近代日本文学の最高峰と何処かの書評で評されていたからである。ベンチに座り、コーヒーやブルーベリーを手弁当に本を読み進め、既に日は真上に近い処にある。

バンクーバーでは天気の良い日は少なく、六月から九月以外はいつも雨らしい。人は、この時期に遊ばない何でもったいないと言うけれど、折角の持てた連続した時間をこそ、読書に費やしたいという気持ちの方が優った。しかし何故、日本ではできなかったのだろうか。

目の前は水上飛行機発着場で、時折ブルブルと轟音をたてて飛び立ってゆく。その時ばかりはガソリンの臭いが立ち込める。飛行機やボート用の給油場が水上に浮かんでおり、ボートが何隻か脇に付けてたゆたっている。まるで紅の豚みたいだ。

今、無性に紅の豚が見たい。

キュウシンください

バンクーバーに着いて早々、6時に起きてカルガリーへ飛んだ。次の日は4時40分に起きてシカゴに飛んで、すぐまたカナダに戻ってきた。次の日は4時45分に起きてバンクーバーに戻り、残業して仕事を終わらせた。死ぬんじゃないかと思った。

出張に行っていつも不便に思うことは毎日違う時差を換算して目覚ましをセットしなければならないことだ。酔っぱらった頭でそんな計算ができるか阿呆と訴えたい。

昨日はオフィスからホテルに帰る道のちょうど真ん中で、一歩も動けなくなりそうになった。一度足を止めたら動けなくなりそうだったのだが、逆に頑張って歩いたら翌朝心臓麻痺で死ぬと思ったので、足以外の部分の力を抜いてゆらりゆらりと帰っていった。顔の表情はまるで浮浪者のようにだらしなく、髪の毛は山姥のようにボサボサだったに違いない。

ホテルに辿り着いて早々ベッドに倒れ込み、明日の朝にでも心臓麻痺で死んでしまいそうだとママに泣きを入れた。一時間位うだうだ文句を言ってたらお腹が空いたので、ホテルの近くのSUBWAYに行くことにした。

レジのお兄さんが日本人かと話しかけてきたから、なけなしの体力を振り絞って話に注力していたら、お釣りをもらったかどうかわからなくなった。(お釣りをくれ)と言おうとしたが、きっともらっているに違いないと思ったので、やめた。席でこっそりお財布を覗いたら見たことのない種類のお札が入っていたのでお釣りはちゃんともらっていたようだ。全く油断も隙もない。それ程疲れが溜まっているということである。

今日は漸く土曜日で換算12時間くらいベッドにいた。本当は家を探さなくてはならなかったのだが、ホテルのTVで誤って有料映画をクリックしてしまったので子供向け映画を一本見ざるを得なかった。有料であることを一度も聞かれなかったことに憤慨したが、うっかりアダルトサイトを押さなくて良かったと思った。きっと悔やんでも悔やみきれない。

その後少し町を散策した。下り坂を歩きながら、帰りは上り坂となることを意識しながら歩いた。12時間も寝たのでさすがに心臓のバクバクは収まっていたが、やはり登り道はさすがに疲れた。それ程疲れが溜まっているということである。

今日は関係者がパーティーを開催してくれたので、ゴルフ場のラウンジに昼飯を食べに行った。カラリと乾いた少し冷たい空気の中、気分よくワインとシャンディガフを飲んだ。調子にのって飲みすぎた。お陰で心臓のバクバクが戻ってきた。

誰かキュウシン下さい。

支えるとは

電車の中で友人にもたれ掛かる若い男性がいた。「もう、だめだ…」と言う彼に、「よしよし、もう一息」と声を掛ける友人。最後に残った力でつり輪を握る彼の腕を肩で受け止め、力を失った彼の体を胸で受け止める友人。ただの酔っ払いには違いないけれど、彼は限界を越えたに違いなく、友人は、彼の体を支える以外にできることはなく。支えるとは、自分で立とうとする者の力を信じ、傍に寄り添うこと。そんな光景を四月一日横須賀線の最終電車で目にしました。

初詣で

元旦には決まって近所の神社に初詣でに行く。数年前からはお父さんとお兄ちゃんも加わるようになり、一家総出七人である。

その神社には神様を呼び出す鈴が五つある。真ん中には大きな鈴、その両隣には中ぶりの、一番端に小ぶりの鈴が並んでいる。今年は本厄であり、心してお参りせねばならない為、真ん中の特大鈴を目指して列のど真ん中に並んだ。

ところが、右斜め後方から、同じように大きな鈴を狙って私を追い出そうとする輩がいる。誰かと振り返ると、兄である。兄の私に対するいじめは半端なく、徹頭徹尾いじめ倒す。戦国時代であったら熾烈な争いを繰り広げていたに違いない。

ややや、これは要注意。とこちらもプレッシャーに負けじと足を踏ん張る。公衆の面前で大きな鈴を取り合うなど、子供でもしていない。私と兄は人知れず攻防を繰り返した。

結局は私が勝ち、兄は脇の鈴へ流れていった。賽銭の10円玉を投げ入れ、大きな鈴をガランゴロンと鳴らして祈ったことは「家族皆が幸せで健康でありますように。お兄ちゃんとお嫁さんが仲直りしますように。」と、いつもと変わらぬものでしかなかった。結局、兄の幸せも願っているので、何の為に小競り合いをしたのか意味不明。

一瞬「今年は幸せな結婚が出来ますように」と祈ろうかとも思ったのだが、利己的な願いは聞き届けられそうもないし、家族が幸せだったら結局それでいいか。

御神籤はお兄ちゃんも私も二人揃って「末吉」と出た。運のよい兄の横顔は不満そうであったが、私はここ数年毎年末吉であり、まずまずの運ではないかと思っている

ともかくも今日の出来事

朝起きたら、7時過ぎでいずれにしても遅刻であることに落胆することから始まった。なごだあを成田空港に迎えに行くか、高校からのソウルメイトとPsalmのコンサートに行くか。最後まで悩んだが、今日はPsalmの方へ行くことに決定。最近はなごだあ離れを励行中。

数年前ソウルメイトに誘われて聞きに行ったPsalmは一聞き惚れ。リーダーのはまちゃんの歌声とパーソナリティは素晴らしく、いつ見ても聞いても素敵です。

今日は教会でのコンサートだったのだが、余りに距離が近く、観客であるにも関わらず、逆に見られてる感があり、緊張し何度も唾を飲み込み、唇を舐めた。後で漏れ聞いたが、友人らも「憧れの人にあまりに近づいてどうしていいかわからなくて目を伏せてしまった」とのこと。その気持ち非常によくわかります。

しかも、新しく入ったメンバーが私の好みのタイプで「あぁ、私ってああいうタイプが好きだったのか」と再認識。好みのタイプさといったら鼻血もの。

帰り際、はまちゃんがお片付けをしていたので、持ち前の特攻力で声をかけ、写真を撮ってもらった。多少迷惑がっていた理由は「私、はまださんのファンです。写真撮ってもらえますか。」と聞いてしまったからだろうか。はまだではなくはまの。

日経新聞に書いてあったこと

会社に入ってから3年くらい、新聞を全く読まなかった。ストレスフルな仕事に対する密やかな反抗であった。兄からは「商社マンなのに新聞も読まないでよく仕事ができるね」と言われた。仕事ができた試しはない。電車の中ではグインサーガ栗本薫)を読んでいた。確か100巻を超えてギネスブック入りした程の長編で、読めども読めども一向に終わらず、この長さは一種の苦痛ですらあった。
最近は、仕事で相場商品を扱っているということもあり、毎朝必ず日経新聞に眼を通している。朝の通勤電車で久々に目をひかれたのは、NASAヒ素を食べて生きる生命体を発見したとの一面を飾る記事であった。その記事の中段には「生命体とは何か」という定義が記されていた。

1.内と外を区切る膜で囲まれた細胞で体ができている
2.繁殖などによって自分を複製する力を持っている
3.外の物質を取り込み中で分解するなどの代謝する仕組みがある

まず、三つしかないことに驚いた。次に、非常に簡潔で一般的な言葉で書かれていることに関心した。日経は時々おもしろい。

幸福なヒトトキ

中華街にて早めの夕食を終え、不思議発見までの一時間くらいをタリーズで過ごした土曜日のこと。何にもしなくて良くて、やっぱりなごだあと過ごす時間が愛おしくて、多分幸せとはこのようなヒトトキのこと。ひんやりとした夜気をまとって入った時のコーヒーの香りの芳しさはえも言われない。

そこのタリーズには絵本がいくつか鑑賞用に置いてあり、コーヒーを飲みながら、だあと二人で回し読みした。どれがよかった?と聞いたところ「これが一番おもしろい」と、私と同じものを指した。

その本のストーリーは、ある豊かな国に大泥棒が変装して忍び込み、国で一番の宝を盗もうとする話。家来や町の人々が不安がっているなか、王様だけは全く不安げな様子もない。大泥棒が国の宝物が何かと突き詰めるのだが、一向に王様の宝物がわからない。ある日王様が「国で一番の宝をみせよう」と指した扉の先には、幸せな生活を営むその国の人々の姿があった。この国の人々の幸せという大きな宝は誰にも奪えませんよ、という話。

だあに選んだ理由を聞いたら「最後にどろぼうがその国のかぎやさんになったから」という答えが返ってきた。